大西民子は、戦後を代表する女流歌人として、長く旧大宮市で活動を続けていました。
民子は、師事した歌人・木俣修が北原白秋の門下だったため明星派の流れを引き継いでいますが、系譜に囚われず幅広い女流歌人からも影響を受けました。
今回の展覧会では、明治・大正時代に活躍した女流歌人のなかから、三ヶ島葭子をはじめとする民子が影響を受けた歌人たちの歌や人生についてご紹介するとともに、自筆の色紙や初版本などを展示します。
是非、大宮図書館3階文学資料コーナーへお立ち寄りください。
長年大宮を拠点に活動を続け、戦後を代表する女流歌人のひとりとなった大西民子は、1924(大正13) 年に盛岡市八幡町に生まれました。
盛岡市立城南尋常小学校に入学した民子は、盛岡の天神山で石川啄木の歌碑を目にして短歌に興味を持ちます。歌だけでなく啄木の破天荒な生涯にも惹かれた民子は、自分もあえて故郷から遠く離れた奈良女子高等師範学校に進学することを選ぶなど、その人生にも大きな影響を与えました。
今回の展示では民子の歌風と人生に影響を与えた啄木の生涯や歌とともに、民子が選んだ啄木の歌100選の自筆原稿、啄木に影響を受けた民子の短歌などを紹介します。
是非、図書館三階文学資料コーナーへお立ち寄りください。